こんにちはたくみです。
前回は古代から中世の哲学について学びました。
世の中の真実は何か、どのように生きていくことがよいのかという古代ギリシア哲学。
神との関係や、人間自身の存在についてキリスト教の文脈で考える中世哲学。
今回はそのあと、「近世」と呼ばれる時代の哲学について
ざっくりと学んでいきたいと思います。
本の概要
『大学4年間の哲学が10時間でざっと学べる』
発行日:2016年9月16日
著者 :貫成人
出版社:KADOKAWA
「大学4年間」シリーズの哲学編!
哲学の重要人物と、歴史の流れが一気に学べます。
著者:貫成人 さん
1956年、神奈川県生まれ。1980年東京大学文学部哲学科卒業。1985年東京大学大学院人文科学研究科卒業。1985年東京大学大学院人文科学研究科中退。博士(文学)。埼玉大学教養学部助教授を経て、現在、専修大学文学部教授。現現象学、歴史理論、舞踏美学が専門。
≪引用≫ Amazon商品ページ「著者について」より
今回の学び
近世とは何か
中世の後半、14世紀はヨーロッパでは、ペストが流行します。
これによって全人口の1/3が亡くなったといわれています。
そんな災厄から立ち直るきっかけだったのが
「大航海時代」です。
スペイン、ポルトガルを中心にアジアの物品を直接入手できるルートを求めて
各国が争うように海へと漕ぎ出していきます。
コロンブスの新大陸発見などによって、ヨーロッパ経済は復調のきっかけをつかみます。
また、14世紀から16世紀にかけては
十字軍の影響などもあり、芸術的な大転換「ルネサンス」がおこります。
(これもとても面白いので別の機会に紹介します。)
新しい経済や文化が構築されていく中で
キリスト教の教会を中心とした社会秩序にも大きな転換が起こります。
ルターらによる「宗教改革」です。
これまで社会を支配していた教会を通した信仰(カトリック)ではなく
聖書を頼り自分たちで信仰を深めるプロテスタントが誕生します。
あらゆる分野での大きな変化を受け
社会も徐々に変化し、のちに「近世」と呼ばれる時代に突入します。
イギリスでの清教徒革命、ピューリタン革命
アメリカの独立戦争
フランス革命
という社会構造を大きく見直す「革命」や
イギリスに始まる産業革命(手工業から機械工業へ)による資本主義の浸透
などが起こります。
新しい社会では新しい哲学が求められます。
今回は
・17世紀デカルトから始まる合理論や経験論
・18世紀に革命を支えた啓蒙思想
について学んでいきたいと思います。
デカルト
デカルトは、「個人主義」の基礎を築きました。
デカルトが考えたのは
「絶対確実なものって何?」
という問題です。
目の前にあるパソコン、マグカップ、本は存在しそうです。
しかし、これらは夢にも登場します。
夢である可能性は、覚めた時に確認できます。
つまり、覚めるまで夢だという疑いが存在してしまいます。
疑いがあっては、絶対確実だとはいえません。
逆に、何もかもを疑っていき、それでも疑いのないものは
その存在を「絶対確実」ということができます。
デカルトは疑い続け、あらゆる存在の疑いをあぶりだしていきました。
そして一つの絶対確実な存在にいきつきます。それは
「今、考えていること」
です。
どんなに目の前のものに疑いがあっても
その疑いを持っているという思考自体は
確実に存在しているものです。
こうしてデカルトは自分の思考を中心に世界を検証していく方法を確立しました。
これはこれまでの「何かある中に自分が生まれた」という世界観から
「自分があって、世界を検証して存在を確かめていく」という新しい世界観への大きな転換でした。
ここから主観を中心とした
イギリス経験論やドイツ観念論が展開されていきます。
心身二元論
デカルトは「主観」と、それに検証される「客観」を徹底的に分けて考えます。
そして自分自身についても主観である「心」と、その主観によって存在が確かめられた客観の「身体」を分けて考えました。心と体は別であるという考え方です。
ここから「人間機械論」という思想が発展し、軍隊や体育などに応用されていきました。
イギリス経験論
主にイギリスで展開された
すべての知識は経験によって得られていると考える立場です。
このイギリス経験論がどのように展開されたのか見ていきます。
ロック
ロックは生まれたときのことから考えます。
どんな人も生まれた瞬間はなんの知識も持たない「白紙(タブラ・ラサ)」の状態です。
ここから知覚を通じた様々な経験をし、知識を得ていきます。
信号が赤い
リンゴも赤い
という経験を通じて「赤い(赤)」という「単純観念」を手に入れます。
リンゴには他にも「丸い」という単純概念も存在します。
そうやっていくつかの単純観念を組み合わせ
「リンゴ」は「赤く」て「丸い」という「複合観念」を得ていきます。
このようにロックは知識を経験によって得ていく過程を説明しました。
社会契約説
ロックは社会思想家でもあり、「社会契約説」を唱えます。
まず政府のない「自然状態」の時を想定します。この時に人間は「自然権(所有権や処罰権)」を持っています。しかし、それらは保障されていません。侵害される可能性もあったということです。
そこで、人々は政府と、自分の処罰権を委譲する代わりに所有権の保証をしてもらう契約を交わします。政府は人々の所有権を守り、それを侵す存在に対しては処罰する力を持つということです。そして、この政府がこの契約を遂行できない場合には、人々は抵抗し、革命を起こしてもよいとしました。
この思想は名誉革命の思想的なよりどころとなりました。
ヒューム
ヒュームは、経験論を突き詰め、最終的に自己破壊的な結論を導いてしまう「懐疑論」という思想にまでたどり着きました。
ヒュームは経験論にとって重要な、知覚についの限界について考えました。
「ボールAにボールBがぶつかった。だから、ボールBは動いた」
という現象について考えます。
「ボールAにボールBがぶつかった。」「ボールBは動いた」は視覚によって確認することができます。
しかし、この「だから」については知覚することが不可能です。
これは、同じような現象をいくつも見てきたことによる単なる「習慣」であるといいます。
因果関係の根拠は自然に存在はせず、因果関係に見えるものは「主観的必然性」であるとしました。
心理的習慣
この例の「だから」と言いたくのは心理的習慣によるものとしています。これには
・観念連合:梅干を見るとよだれが出る。
・恒常的連結:火の映像を見ながら熱を感じるという経験をたくさんしていくと火を見るたびに熱を期待してしまう。(今回ボールが動くのはこっち)
という種類があります。
ヒュームはこのように因果関係を否定しましたが
自然科学は因果関係を軸に構築されています。
もともとは非科学と科学を分けて考えるものだった経験論ですが
このヒュームの考えでは、自然科学を否定することになってしまいました。
大陸合理論
人間には生得的に「理性」というものが備わっていて
「理性」の働きによって、様々な法則が理解できると考える立場です。
イギリス経験論に対して、オランダ・フランス・ドイツで発展したので「大陸」がついて呼ばれています。
パスカル
パスカルは「人間は考える葦である」という言葉で有名な人物です。
パスカルは人間を神と動物の中間的な存在であると考えました。
人間は本来やるべきことから目を背けてしまうことがあります。
本能に従い、本来の目的から離れてしまうようなこともあります。
このような動物や人間はこのような「気晴らし」を行ってしまいますが
人間は「気晴らし」を自覚できる点で、他の動物とは違います。
人間はもともと地上の支配者として神に作られましたが
禁断の実を食べるという原罪によって、自信を制御する力を失い
中間的な存在へと堕落してしまいました。
このようにパスカルはキリスト教的な観点から人間の存在について考えました。
デカルトの「コギト」が、神ではなく、自分自身を出発点をしている「幾何学の精神」と批判し
人間には基本的な法則を直感的に理解することができる「繊細な精神」が備わっていると主張しました。
パスカルは「モラリスト」として区分されています。
大陸合理論の流れで考えるのは間違いという主張もあります。
今回は、本の流れに沿って、大陸合理論の一部として紹介しました。
スピノザ
スピノザは、人間の意志について神学的決定論を唱えました。
この世は神が創造しました。
であるなら、人間が自分の意志だと思っているものも
実は神が決めたものということです。
この思想に行きつくために「実体」について考えました。
(実体:他に依存せず、存在するもの。)
「白い桃」や「机の上」の「白い」(=性質)「上」(=関係)は「桃」「机」がないと存在できないと考えられます。
しかし、桃や机も生産者がいないと存在できないので、実態とは言えません。
そうやって考えていくと、最終的に実体と認められるのは「神」だけということになります。
すべてのものは神との関係で成立しており、神の部分であると言えます。(=汎神論)
ライプニッツ
ライプニッツは「モナド」という概念を考えました。
例えば噴水について考えます。
噴水には水を噴出する噴出口、そこまで水を運ぶ水道管、川、水源、雨、雲、海・・・
と無限のつながりがあると考えられます。このように無限の関係を背景として、存在する個体を「モナド」と呼びます。
本書以外の解説では
モナド:この世を構成するそれ以上分割不可能な存在で、空間的な広がりを持たない精神世界の存在
とされているものもあります。
(まだ勉強不足で理解ができていません。今後より正確な概念を解説します。)
そして、最大のモナドは「神」です。
神はモナドが相互に調和するように仕込んでいます。(=予定調和)
人間と神はモナドという点で共通していますが、異なる部分があります。
それは真理への理解についてです。
ライプニッツは二種類の真理について考えました。
・永遠の真理/理性の真理
「三角形は3つの頂点を持つ」のような神も人も見ただけでわかるもの
・偶然の真理/事実の真理
「桃は甘い」のように、神は桃という概念だけで甘いことがわかるが、人間は実際に確かめないとわからないもの
この偶然の真理などにはややイギリス経験論とのつながりがあるとも考えられます。
社会契約説
ロックにも見られた「社会契約説」はこの時代に大きな影響を残しました。
革命の時代にあって、社会の成り立ちやその原理への関心が高まり
人々はその立場に即した思想をよりどころとしました。
ロック以外に大きな影響を残した二人の人物を紹介します。
ホッブズ
政府成立以前の自然状態をお互いの権利を主張し合う
戦争状態「万人の万人に対する闘争」としました。
この状態から人々はすべての自然権を統治者に預け
統治者は、国家の安全と平和を守るためにこの力を行使するものであるとしました。
この思想は結果として
国家の強大な権力を認めることになり
絶対王政を肯定するものと受け止められました。
しかし、国家の権力を自然権の保障としたところが新しく
近代政治思想の基礎として評価されています。
ルソー
ルソーは自然状態を他者への愛や憐みのある状態とします。
しかし、土地の私有が始まると争いが生まれてしまいます。
そこで私有を保証するために政府を作っても不平等が固定化されてしまうだけになります。
本当に必要なのは
自分の財産権や自然権を全面的に政府に委譲する社会契約で
任された政府は、共同体の利益だけを考える(=一般意志)ことです。
一般意志の実現のために
個人は共同体と一体となり、直接民主制によって国の意思決定がされるべきだとされています。
ルソーの思想は
個人よりも共同体を優先しなさいとも取れるため
フランス革命後のロベスピエール政権や、ナチズムにも応用されました。
まとめ
近世は中世の固定化された社会構造から
より個人の選択が広がる社会へとまさに転換していく時代です。
この時代に個人やその根本とされた理性についての思想が深まっていきました。
経験論や合理論はどちらも個人を見つめていく思想です。
しかし、深めていく中でどちらも理性の限界や矛盾に行きついてしまいます。
この後これらの思想がどのように次の時代へとつながれていくのか
次回はこの二つの思想の調停に挑戦したカントの思想について学んでいきます。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回もよろしくお願いします。
コメント