こんにちは、たくみです。
前回は20世紀に大きな哲学的な展開をもたらした
フロイト、ニーチェ、マルクスについて学びました。
彼らは大きく社会構造が変わっていく時代に
これまでの西洋哲学を根本から転覆させるような独自の思想を立ち上げました。
そんな彼らの思想を受けて
20世紀哲学は
・言語分析哲学
・現象学、実存哲学
・構造主義、ポスト構造主義
という大きな3つの潮流を生みます。
今回はその一つ
「現象学」について学んでいきたいと思います。
≪参考文献≫
今回の学び
現象学の潮流
19世紀後半から学問の世界は自然科学が大きく発展しました。
哲学界でこれまで議論の中心にあった壮大な思想は
リアリティがなく、説得力を失っていきました。
実存などの根本的な議論よりも
今まさに進行している人文社会学や自然科学にどのような正当性や限界があるのか
という議論が哲学には求められていました。
そうした中で登場したのが
・フッサールの現象学
・ハイデガー、サルトルの実存主義
・メルロポンティ
・レヴィナス
らの哲学者です。
彼らは戦争や科学によって脅かされている人間という存在について
その存在の意味を追求しようとしていきました。
フッサール
フッサールの追究した現象学とは
「何かが存在している(現象が起きている)と言えるのはどういう仕組みによるものか」
を考えていくものです。
目の前に「コーヒーの入ったカップがある」という景色があったとします。
これをある人が見てその容器をカップだと判断し
その香りをかいで中の液体をコーヒーだと判断して
それらの情報を頭の中で整理して理解して初めて
「コーヒーの入ったカップがある」という現象が成り立ちます。
これを「そもそもそこにコーヒーの入ったカップがあったからでしょ?」と捉えてしまう(自然的態度)と
すべてのものが「そこにあったから」で説明できてしまい、人間がどう認知したかという現象の分析が進みません。
なのであえて、現象「どう認知されているか」という立場に立って考えていくことが必要です。
この動作を「現象学的還元」といいます。
このように現象学では
具体的な状況を分析していくことによって、自分の存在が世界の中にいる意味を考えていきます。
ハイデガー
ハイデガーはまず「自分自身にしかできないことは何か」を考えました。
日常の自分はほとんどが「交換可能」です。
生活の中で自分でなければできないことはほとんどありません。
それでも自分という一つの個体しかできないことが存在します。
それは「自分の死」です。
自分の死というのは他の誰にも変わってもらうことができません。
つまり人間は自分の死に向き合う時に、自分というものを確立することができます。
しかし、死んでしまうと存在がなくなってしまうので一瞬です。
そもそも自分はいつの間にか生まれた存在で過去の存在について根拠がありません。
将来の存在についても確実なのは死だけです。
こう考えると、人間は常に「無」というぞんざいに囲まれています。
無から生まれて、将来は確実に無になります。
ハイデガーはこの「無」がすべての存在を取り囲んでいて
存在することを贈ってくれる「存在そのもの」であるとしました。
サルトル
サルトルは実存主義という立場に立ちました。
実存主義とは
誰もがまずは存在しており、その在り方は自分で決めていく
という考え方です。
誰もが気づいた時には現実に存在しています。(=実存)
そしてその上で自分自身がどのようなぞんざいになるかという「本質」を決定していかなければいけません。
このような判断を「実存的決断」といいます。
古来からのギリシャ哲学以降の西洋哲学では
イデアや神のように本質を決めるものがまずあって
そこ自分という人間が生まれてきたという「本質が存在の前にある」という状態でした。
しかし、サルトルの実存主義は
存在していて、どう生きるかは自分で決めるという
「実存は本質に先立つ」という立場です。
自由に決められるということは一見開放的なことに思えますが
重要な事項について自分自身だけで決めていかなければいけないことは簡単ではありません。
サルトルはこの状況を「人間は自由の刑に処せられている」と表しました。
メルロ=ポンティ
メルロ=ポンティは西洋哲学の流れの中で
初めて身体について分析をしました。
メルロ=ポンティは頭(脳)が身体をコントロールしているという考えを覆しました。
歩いたり走ったりという動作をするとき、どのくらい膝を曲げて、足首をどの角度で曲げて着地するか
といった一つ一つの動作についていちいち頭で計算することはしません。
体が自然に処理していて、その間に頭は別の知的活動を行うことができます。
このように、身体の働きによって人間は知的活動の自由を得ているので
人間は「身体的実存」であるとしました。
メルロ=ポンティは
これまでの哲学の流れに「身体」という新しい分析の要素をもたらしました。
まとめ
今回は20世紀の哲学の潮流として「現象学、実存主義」について取り上げ
4人の人物について学びました。
それぞれの人物が哲学に新たな思考をもたらし前進させてきたということが分かりましたが
フロイトやニーチェほどの大きな転換になっているのか正直わかりませんでした。
かなり難解な概念も多く出てきたのでこれからさらに学んでいきたいと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回もよろしくお願いします。
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