こんにちは、たくみです。
20世紀の哲学には大きく3つの潮流があります。
・現象学、実存主義
・言語分析哲学
・構造主義、ポスト構造主義
今回はその中の「言語分析哲学」について学んでいきます。
≪参考文献≫
今回の学び
言語分析哲学とは
20世紀は科学が大きく発展した時代です。
軍事や産業利用に応用された科学は次第に生活の中にも入り込んでいきました。
そうした科学の発展の中で哲学は
「自然科学の本質は何なのか」
「科学的な推論に必要な言語や論理とは、どのようなものなのか」
といった問いに取り組むようになっていきました。
イギリスには、ベーコンらの経験論の伝統がありました。
そこに20世紀からの論理分析が合流して
「英米系言語分析哲学」が誕生します。
今回はその言語分析哲学について
4人の人物を取り上げて学んでいきます。
カルナップ
カルナップは、
「科学的」と「非科学的」を分ける基準は何かを考えました。
何か自然法則を明らかにしようとするときには
まず仮説を立て
仮説の真偽について実験を行い
観察をして実験結果を得て
この過程に論理的な矛盾がないことを確認して
仮説についての真偽を判断する。
というプロセスが必要です。
仮説に対応していない実験や推論は客観的な情報とは言えず
そこから得られた法則も非科学的となってしまいます。
このようにカルナップは
・仮説とその検証の結果に対応があること
・基本的な論理操作(矛盾のない論理展開)
だけを科学の基準とするべきだという立場を取りました。
この考え方を「論理実証主義」といいます。
クワイン
クワインは、カルナップのような科学の検証について
現実にはそこまで単純化して検証はできないとしました。
一つの仮説について実験し、仮説とは違った結果が出た時
そこに至るまでに使われたあらゆる理論、法則に誤りの可能性があります。
つまり、仮説と結果は一対一の関係で成り立っているわけではなく
関わる科学全体として複雑に絡み合っているということです。
このような科学に対する立場を「ホーリズム(全体論)」といいます。
クワインは、このような立場から
科学というのは基本的に自然現象を説明したり、人とコミュニケーションをとるためのツールである
といいます。
この科学を実用の道具ととらえる考え方を「プラグマティズム(実用主義)」といいます。
ウィトゲンシュタイン
ウィトゲンシュタインは、言語の使われ方について考えました。
同じ言葉も場面ごとに意味が変わることがあります
例えば、「お疲れ様です」という言葉は
「こんにちは」のようにあいさつ的に使われることもあれば
苦労をねぎらう言葉として使われることもあります。
このように独自の言葉の使い方のルールを持つ日常の状況を「生活形式」
そこで使われている言葉のルールを「言語ゲーム」と呼びます。
そして、場面によって意味が変わるということは
言葉には本質が存在しないということです。
これは、プラトン以降の同名のものは本質を共有するという「本質主義」を否定する考え方だったので、「反‐本質主義」と呼ばれました。
ライル
ライルは、言葉について考えていく中で
「言葉は誤用がつきものである」ということを発見しました。
例えば友達とオープンキャンパスに行き、構内の図書館や校舎、食堂などを見学していた時に
友達がふと「次は、大学を見に行こう」と言ったします。
トンチンカンな発言だが、これを分析すると
友達の中では「大学」が「図書館」や「食堂」のように固有の建物を持つものだというカテゴリーに分類されているからだということだとわかります。
これを「カテゴリー錯誤」といいます。
そのものを分類するカテゴリーを間違えてしまうと、当然その言葉の使い方も間違えてしまいます。
これは哲学の世界でも起こることです。
ライルは、古来からの心身問題もカテゴリー錯誤によるものだと考えます。
心身問題は「心と体がどうかかわるか」という問題です。
例えば、「足が速い」「お酒に強い」という特徴は身体に原因を求めることができます。
同じようにこれまでは、「優しい」「気遣いができる」という特徴も、心に原因を求めてきましたが
これらの特徴はふるまい方という行動に属するもので、「心」という機関を想定することが
カテゴリー錯誤であるとしました。
ライルはこれによって、古来の心身問題を
解決するのではなく、問題自体の存在を解消しました。
まとめ
言語分析哲学は、哲学や科学に用いられている
「言語」というものを見つめなおしました。
それによってこれまでの哲学の文脈を大きく転換させたり
根本的に異なった立場をとるということが可能になりました。
次回は20世紀哲学の3つ目の潮流、構造主義・ポスト構造主義について学んでいきます。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回もよろしくお願いします。
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