デカルト以降、西洋哲学は
イギリス経験論と大陸合理論の大きな2つの流れで発展しました。
知識を後天的な獲得物とするイギリス経験論は知識の証拠を求めるあまり、知識について認められなくなってしまう懐疑論にたどり着きました。
人間が先天的に理性を持つとする大陸合理論は理性の働きを強調するあまり、理屈を一方的に押しつける独断論に行きつきました。
この極端な結末を調停しようとしたのが、カントです。
今回はこのカントについて学んでいきたいと思います。
≪参考図書≫
今回の学び
カント
カントが生きた18世紀の後半は
新大陸の発見やアフリカ大陸への進出などによりヨーロッパ経済が盛り返し
中産階級が成長した時代でした。
資本主義が一般に普及し、新しい社会に対する新しい哲学が求められていました。
そこでカントは3つの大作で新しい哲学を確立しようとします。
『純粋理性批判』:認識や存在について
『実践理性批判』:倫理や道徳について
『判断力批判』:自然科学の正当性から個人や芸術について
それぞれどのような主張がされたのか見ていきます。
コペルニクス的転回『純粋理性批判』
人間は先天的に「悟性概念」というものを持ちます。
これは生物種や文化ごとに異なる色眼鏡のようなものです。
何か対象を悟性概念を通じて知覚し、それが経験になります。
しかし、対象をそのままとらえているわけではないので、
正確な実態はだれもとらえることができません。
このように誰もとらえることができない世界を「物自体」と呼びます。
カントのこの考え方は革命的な転換でした。
そもそも認識の対象があって、そこに参加した人が認識をするのではなく
先に悟性があり、悟性を通じて対象を認識することで初めて経験が成立するということです。
これを「コペルニクス的転回」と呼びました。
人間の意志とは何か『実践理性批判』
カントは人間の義務には2種類あるといいます。
一つは仮言命法です。
「試験に合格したければ、勉強をしなければならない」のように
条件付きの義務を指します。
この場合、「試験に合格したい」という希望がなければ従う必要はありません。
もう一つは定言命法です。
「他人に迷惑かけてはならない」のように
無条件に誰もが従うべき義務を指します。
定言命法に従うかどうかということが自分の行為の是非をチェックするフィルターになります。
カントの生きた時代は革命によって
これまでの権威(教会や王)の力が弱まり、個人の力が成長した時代です。
その中で、他律ではなく自律的に生きていくことは重要度が増していきました。
良し悪しはなぜわかるのか『判断力批判』
カントは人間には「合目的性」への判断力があると考えました。
「合目的性」とは、適切なものが適切な場所に置かれて、全体の流れが阻害されていない状態です。
人間には2つの場面で、この合目的性の流れに乗っているかどうかを判断する力があるとしました。
一つは、芸術です。
美しい作品かどうかの判断は主観的ですが
美しいと感じる作品を見ていいなぁと感じるあの瞬間は、誰しも共通しています。(主観的普遍性)
人間の想像力がその作品が合目的性に沿っているか、判断できるということです。
もう一つは自然探求についてです。
大自然に触れ、普段の悩みがとても些細なことだったと感じることがあります。
それは自然が合目的性の流れに乗っていて、そこに自分自身も参加できているからです。
そうした経験のように、自然の大きな流れに乗ることで、自然全体についての方向性も判断できるとしました。
まとめ
カントはこの3つの批判を通じて
ギリシア哲学でいうところの「真善美」について分析しました。
『純粋理性批判』では「真」について
『実践理性批判』では「善」について
『判断力批判』では「美」について
これまでの哲学の流れを踏まえて
一応の体系化を図ろうとしました。
これが以降、近代哲学の基礎として大きな影響を与えた一方で
人間の性質を別々に論じたことで
「結局人間ってなに?」という批判も出てきました。
その疑問に取り組んだのがドイツ観念論です。
次回はこのドイツ観念論について学んでいきます。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回もよろしくお願いします。
コメント