こんにちは、たくみです。
20世紀哲学には大きな潮流が3つありました。
・言語分析哲学
・現象学、実存主義
・構造主義、ポスト構造主義
です。
今回からは「構造主義、ポスト構造主義」について学んでいきます。
ボリュームがかなりあるので、投稿はいくつかに分けて行います。
≪参考文献≫
今回の学び
これまでフランスはドイツ系哲学の影響を大きく受けてきました。
しかし、ソシュールという人物の言語研究を受け
第二次世界大戦後にはフランスで新たな哲学の潮流が生まれていきます。
それが「構造主義」です。
レヴィ=ストロースから始まった構造主義は
ラカンの精神分析や、バンヴェニストのテクスト分析などに影響を与えました。
その後はフーコーやデリダに受け継がれ
最終的には構造主義の脱却をはかるポスト構造主義へとつながります。
今回はこの構造主義の前半、構築期を作り上げた人物の思想を見ていきたいと思います。
ソシュール
ソシュールは言語の体系について研究します。
「右」という言葉は
「左」の反対という概念を表します。
「自分」という言葉は
「相手」ではない部分を示します。
このように言葉は他とは違う範囲を示す(=示差)というものです。
つまり言語というのはこの差を体系化したもの、「示差の体系」ということです。
言葉そのものには
シニフィアン:音や見た目など知覚できる側面
シニフィエ:意味範囲や概念などを示す側面
があります。
「やばい」という言葉が否定の意味から、肯定の意味を持つようになったように
シニフィアンやシニフィエはお互いに連動しながら、現実の言語活動(=パロール)の中で
伸縮しています。
ソシュールは意味や概念を固定的なものではなく
現実の生活の中で変化していく柔軟なものと捉えました。
この気づきが構造主義へとつながっていきます。
レヴィ=ストロース
レヴィ=ストロースは
人間は構造の中の一部分にすぎないという「構造主義」
を立ち上げました。
研究したのは文字を持たない「未開社会」です。
社会には誰と親しくし誰と疎遠になるかについて明確なルールがあるとしました。
レヴィ=ストロースの研究では
人間社会のルールは大きく「父」「母」「子」「母方のおじ」の関係性にルールがあるといいます。
例えば部族では
生まれた子供は父とともに行動をし、母は母方のおじと行動を共にします。
また別の部族では子と母がともに母方のおじと行動を共にします。
父と母がともに行動をして、子は母方のおじと行動を共にするという部族や
父、母、子がともに行動するという部族もあります。
これは共同体を維持する上で、女性と子供をどこに帰属させるかという問題であり
ここに合理的で明確なルールを設けておくことで部族内の均衡を保ち、争いを未然に防ぐことができます。
このように個人は自分も把握していないあらかじめある構造の中に生まれてくるものであるとしました。
そしてレヴィ=ストロースは
・未開社会にも合理的構造があるとして、欧米中心主義の批判
・人間は構造の一部にすぎないとして、人間中心主義の批判
を行いました。
ラカン
ラカンは、人間の自我について「シェーマL」という構造を考えました。
人間は、幼児のころに他者と自我の境界線が理解できていません。
一番近い他者である母親と自己の境界線があいまいなまま
自分が母親を求めるように、母親にも自分を求めてほしいと思ってしまいます。
しかし、母親の欲望は父に向っていて自分には向いておらず、さらに、父親が自分の母親に対する欲望を禁止します。
そこで自分の欲動を抑圧してなかったものにし、自分は父親の望む良い子として存在しようとします。
ラカンは人間の自我がこのシェーマLという構造の中で形成されていると考え
人間の自我が相対的な関係性の中で成立していることを明らかにしました。
ロラン・バルト
ロラン・バルトは様々な存在を「記号」としてとらえ、記号論的分析を行ってその関係性を明らかにしました。
例えば、「ゴッホ」は「画家」です。
ソシュールの分析でいうと、「ゴッホ」というシニフィアンは、「画家」というシニフィエと結びついています。
「ゴッホ=画家」という概念のように、シニフィアンとシニフィエが同一化している状況を「神話」と呼びました。
「神話」は元は人為的なものでしたが、その期限が忘れられて、その世界観はいつの間にか浸透しています。
一方で、「おしゃれ」という記号は、多用されていますがそのシニフィエははっきりしません。
反対にシニフィエとして概念になっているものの、対応するシニフィアンがないという概念もあります。
記号に対するリアクションも様々で
例えば、ゴッホの絵も作者の意図に関わらず、「物悲しい」「狂気的」といった記号を受け手が勝手に読み取ることがあります。ロラン・バルトはこれを「作者の死」と呼びました。
反対に、作品が自分の無意識に働きかけてきて、勝手に何かを思わせるということもあります。これを「プンクトゥム(刺し傷)」と呼び、これによって主体は一時的に死に、存在を危うくされてしまいます。
このように記号は様々な記号と結びつき、結び付けられながら多層的に存在しています。
まとめ
今回は初期の構造主義について学びました。
それぞれがかなり抽象的でわかりにくい部分もあるのですが
人間という存在は、自分も把握しきれていない構造の一部なんだ
ということがこの思想の大きな発見でした。
その構造を言語や記号として考えたり、関係性として考えたり
ということで明らかにされていました。
次回はこの後に続くフーコーらの構造主義について学んでいきたいと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回もよろしくお願いします。
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