こんにちは、たくみです。
「哲学」
絶対大切なものなのに
なんだかよくわからないものの代表ですね。
高校時代に倫理を履修していましたが
なんとなく人物名は覚えているものの
その全体像はよくわかっていませんでした。
「哲学」とは何を学ぶ学問なんでしょうか?
宗教とは何が違うのでしょうか?
今回からは哲学の概論について学んでいきたいと思います。
※今回は内容が膨大なのでいくつかのパートに分けて投稿します。
本の概要
『大学4年間の哲学が10時間でざっと学べる』
発行日:2016年9月16日
著者 :貫成人
出版社:KADOKAWA
「大学4年間」シリーズの哲学編!
哲学の重要人物と、歴史の流れが一気に学べます。
著者:貫成人 さん
1956年、神奈川県生まれ。1980年東京大学文学部哲学科卒業。1985年東京大学大学院人文科学研究科卒業。1985年東京大学大学院人文科学研究科中退。博士(文学)。埼玉大学教養学部助教授を経て、現在、専修大学文学部教授。現象学、歴史理論、舞踏美学が専門。
≪引用≫ Amazon商品ページ「著者について」より
今回の学び
哲学とは?
「哲学って何?」
この問いがすでに哲学的で、難しいですね。
哲学とは
誰もが持っている基準や価値、常識を言葉にして磨きあげたものです。
「死」とは?
「人間」とは?
「好きになる」ってどういうこと?
誰もが感覚的には理解できているけど
いざ言葉にすると難しい
ということをじっくり考えていくのが「哲学」という学問です。
なので、基本的にはほとんどの人が、いつの間にか哲学を身に付けています。
ただ、それを言葉にして考え直し、哲学という机の上で改めて見直してみると
自分や社会の感覚の意外な側面に気づけたり、理解が深まったりすることができます。
哲学の流れ
哲学は様々な学問に先立って、かなり古くから存在していました。
これからその一つ一つを学んでいきたいと思いますが、
始めにその大きな流れを確認しておきます。
①古代ギリシア哲学
哲学の起源です。
この時点では学問全体を包括する「フィロソフィア」という学問でした。
そこから「物理」「心理」「歴史」といった学問が独立していきました。
代表的な人物
・ソクラテス
・プラトン
・アリストテレス
②中世ヨーロッパ哲学
キリスト教という大きな宗教が社会に浸透し、
教会を中心とした社会秩序が成立します。
その中で哲学は「神学の婢(しんがくのはしため)」という位置づけになり
キリスト教教義の理論的な補強として使われるようになりました。
代表的な人物
・アウグスティヌス
・トマス・アクィナス
・オッカムのウィリアム(ウィリアム・オブ・オッカム)
※今回はここまで解説します。
③近世西洋哲学
ルネサンスを経て西洋の社会構造も変化し始めます。
そうした中で哲学も新しい段階に入ってきます。
大陸合理論や、イギリス経験論、ドイツ観念論などが誕生します。
代表的な人物
・デカルト
・スピノザ
・ライプニッツ
・ロック
・ヒューム
・フィヒテ
・シェリング
・ヘーゲル
④19世紀後半から 哲学の転覆
ヘーゲル批判から始まり
これまでの哲学そのものを転覆させるような革新的な主張がされるようになります。
代表的な人物
・キルケゴール
・ショーペンハウアー
・マルクス
・フロイト
・ニーチェ
⑤20世紀 現代哲学
哲学はさらに発展し、次々と新しい理論・分野が登場します。
代表的な人物と理論
・フッサール:現象学
・ウィトゲンシュタイン:言語分析哲学
・レヴィ=ストロース:構造主義
・フーコー:ポスト構造主義
こうした大きな流れの中で、哲学は発展してきました。
ではそれぞれの時代にどのようなことが考えられてきたのか学んでいきたいと思います。
その他の地域の哲学
今回は主に西洋哲学の流れについて勉強していきますが、
哲学そのものは西洋以外の地域でも当然同時多発的に発展していき、相互に影響を与え合ってきました。
古代では
・ペルシアのゾロアスター教
・インドのウパニシャッドや仏教
・中国の儒学をはじめとする諸子百家の思想
などがあります。
日本でも大陸の影響を受けながら
7世紀には『古事記』が著され、神道が形作られていきます。
その後も鎌倉新仏教や、江戸朱子学などの哲学が社会の変化とともに発展していきます。
哲学の始まり
もっとも古い哲学の一つは
「ギリシア哲学」です。
紀元前5世紀ごろまでの地中海東部のギリシア地域は、
エジプト、メソポタミア、ペルシアなどの先進文明の辺境という位置でした。
この地域では、大きな統一国家は生まれず
ポリスと呼ばれる都市国家がいくつも存在していました。
その中核を担うアテナイでは、直接民主制が成立します。
市民の発言権が向上し、より説得力のある話ができるようになるため
「ソフィスト」と呼ばれる弁論術の教師が活躍しました。
そのソフィストたちを批判する形で登場したのがソクラテスです。
その後プラトン、アリストテレスといった人物たちが
ギリシア哲学を前進させていきます。
ソクラテス
ソフィストを批判しながら自身の哲学を完成させていったのが
ソクラテスという人物です。
ソクラテスはアテナイの市民に対して
徹底的に議論を仕掛けていきます。
「勇気とは何か?」
「知っているとは何か?」
とにかく質問を繰り返していきます。
(街中でこんなに質問されたら本当にうっとおしいですが、、、)
この質問の中で、相手は自分の知に限界があり
わかっていると思っていたものも実は知らなかったということに気づきます。
「知らないということが分かった」=無知の知
これこそがソクラテス哲学の始まりです。
知らないからこそ、本当のことを知りたくなります
この「知への愛」が哲学です。
無知の自覚から始まる知の探究をソクラテスは哲学だと考えました。
ソクラテスの死
ソクラテスは、民衆の不安を掻き立てポリスの秩序を乱しているとして、投獄・死刑になります。
弟子たちはソクラテスに脱獄するよう促しますが、「ただ生きるのではなく、善く生きるのだ」と言って、死刑を受け入れたといいます。
プラトン
ソクラテスの弟子プラトンは
人間は誰しも今より良い状態を目指していることに気づきます。
このそれぞれが目指す理想の姿を「イデア」と呼びます。
犬には犬のイデアが
花には花のイデアがあるということです。
そして、人だけではなくすべてのものが今よりも良い状態を目指しているのですから
すべての存在にとっての究極の理想は「善のイデア」であるとしました。
イデアは間違いなく存在するものの
実際に触れたり、見たりすることができないことから
イデア界という現実世界とは別世界を想定しました。
アリストテレス
プラトンの弟子アリストテレスは
イデア論から現実の問題を考えました。
すべての理想が同じなら、どうして個体に差が生じているのか?
という疑問についてです。
これに対しアリストテレスは
今の自分になるためには4つの要因がある(四原因説)を説きます。
4つの要因とは
・目的因:生まれたときに備わっている「人間になる」という目的
・質料因:食べ物などから筋肉が作られるように、そのものを作るもとになる材料
・作用因:結果を生み出す動作のこと。例えば筋肉があるという結果に対しての筋トレが作用因にあたる。
・形相因:そのものとしての特性。椅子であれば「人が座るための道具」が形相因となる。
のことです。
人間だけではなく、すべてのものに四原因が存在するとしました。
人間の乳児はこれから人間として完成されうる「可能的状態(ディミナス)」で
成長していき、目的因を果たした「現実的状態(エネルゲイア)」になります。
このように、すべてのものが存在する理由は
個体の中にあるという考え方は
師匠のプラトンがイデア界を想定したものとは異なり
かなり現実に即した考え方になりました。
中世ヨーロッパの哲学
ギリシア、ローマの繁栄が終わり、ヨーロッパは中世という時代に入ります。
ローマ帝国時代に正当化されたキリスト教は、この中世に社会に浸透します。
ローマ法王を頂点とする教会を中心とした社会秩序が成立していきます。
そうした中で、哲学は
その教義を補強したり
宗派間抗争に利用されたり
といった役割を担うようになり、「神学の婢」と言われるようになります。
キリスト教世界観の中で、哲学はどのように発展したのか見ていきます。
アウグスティヌス
アウグスティヌスは4世紀に活躍したキリスト教の司教です。
キリスト教の世界では
天地創造によって世界がつくられ
人間も神によって作られました。
始めは楽園で暮らしていましたが
神との約束を破り、禁断の実(リンゴ)を口にしてしまいます。
これによって人間は楽園から追放され、神との約束を破った罪(=原罪)を背負った存在とされます。
ここで問題なのは、完璧な神が作った世界に、なぜ悪が存在するのかという問題です。
アウグスティヌスは約束を破った人間に意思があったと考えます。
自らの意志で神との約束を破ったということです。
そして人類史は、この罪深い人類がキリストによって救われる過程であるとしました。
では、どのように救いを求めたらよいのか。
アウグスティヌスは地上(現世)ではなく、「神の国」に救いを求めるべきと考えます。
「神の似姿」として作られた人間には
内側に神の存在があるので、「自身のうちに帰り」ながら進行していくべきと説きました。
人間の自由意思の存在を明らかにし
「神の国」と地上を分けて考えた点は
後の哲学に大きな影響を与えていきます。
普遍論争
キリスト教において、すべての人間が「人類」にカテゴリーされるということは重要です。
それは人類が原罪を背負った存在であるというのが信仰の根本にあるからです。
この人は人類だけどあの人は違うということはあってはいけません。
しかし、なぜすべての人間を「人類」という普通名詞で呼ぶことができるのでしょうか?
これが「普遍論争」です。
これには大きく3つの立場があります。
①概念実在論
「普遍は個物のなか」
誰もが「人間」という本質を内側にもっているという主張です。
②唯名論
「普遍は個物のあと」
私たちが、「人類」という名前を各個人に当てはめているだけという主張です。
③概念論
「普遍は個物の前」
神が人間を作る際に、事前に「人類」に関するプランがあったので、そこから作られた人間はすべて「人類」にあてはまるという主張です。
トマス・アクィナス
13世紀に活躍した、スコラ学の神学者です。
トマスは神の存在について「存在」と「本質」から説明しました。
存在:そのものがあるかどうか
本質:そのものの特徴、定義
例えば、シマウマは「白黒の縞模様を持つ馬」という本質を持ち、その存在も確認できます。
しかし、ユニコーンは「一本角を持つ馬」という本質はありますが、存在は確認できません。
このように様々なものは、本質と存在から分析することができます。
これを「神」に当てはめるとどうなるでしょう。
神を「完全な存在」定義したとします。
これでは、神は「不完全である」という可能性を制限されることになり
完全ではなくなるという矛盾が生じます。
トマスはこの矛盾を解決するため
神は「在りて在るもの」としました。
つまり、存在することが本質であり、存在と本質の区別はないということです。
これによって、神は存在以外の制限を受けず
完全な自由な状態になります。
そして重要なのが
この神が生んだ世界にも制限はなく
神の存在があったとしても、人間は自由であるという結論です。
トマスはこうして神の存在と人間の自由を説明しました。
ウィリアム・オブ・オッカム(オッカムのウィリアム)
ウィリアムは、普遍についての議論を前進させました。
これまで普遍は、プラトンのイデア界であったり、キリスト教の神だったりにあるとされてきました。
しかし、先ほどのトマスの考えで行くと、神は自由でありこの世界の普遍的秩序にはなりえません。
では普遍はどこにあるのでしょうか?
ウィリアムは自分という存在を軸に考えます。
例えば、自分が林檎を目にします。
そこで頭の中では「赤くて、甘いもの」という観念が生まれます。
また別の林檎を目にしたときにも「赤くて、甘いもの」という観念が生まれます。
こうして経験の中から「赤くて、甘いもの」という共通の観念が存在することになります。
その観念に「リンゴ」という名前をつけて、これ以降すべての林檎に「リンゴ」が普遍的に当てはまることになります。
つまり、普遍は自分の頭の中でつけた「名前」だけであり(唯名論)
もともと普遍が存在していたわけではないということになります。
こうして普遍は自分の知覚から生じていくという考え方は
これ以降のデカルトやイギリス経験論にも大きな影響を与えていきます。
まとめ
今回は古代から中世までの西洋哲学を学びました。
抽象的な概念が多く、難しいところもありました。
特にキリスト教の文脈は、文化的な背景をしっかり理解できていないと
なかなか実感できない部分もありますね。
しかし、それは哲学が生活の中で生まれてきた学問だという証拠でもあると思います。
現実の世界の問題について深く考える
という哲学のスタンスは、わざわざ考えないと気づけない領域に連れて行ってくれます。
次回は近代の哲学について学びたいと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
またよろしくおねがいします。
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